工房・寂

モノオペラ解説

ヴァニタス(1981年)

シャリーノが1981年に作曲した「ヴァニタス」は,キリスト教の文脈における「空虚さ(空しさ)」に関する.さまざまなテクストを16世紀のイタリア語・ラテン語・ドイツ語・英語から採用し,全曲を通じてこの「ヴァニタス」のモチーフを変奏する労作,伝統的に「ヴァニタス」は,移ろいやすい美や地上の生命の儚さを人に思い起こさせる芸術的モチーフであったが,また同時に死が不可避であることや死後の生命に思いをはせる瞑想へと人を仕向けるための信仰上の精巧な装置でもあった.この世の美と言うものは逃げていく.一方で天上の美は永遠である.解釈の多様性はともあれ,概ねそういった文脈で捉えられてきた概念・格言であったといえよう.戦後モダニズムの伝統の中でも最も贅沢に織り出された音の世界である.
松虫(2014年)世界初演

同名の能の演目を典拠に,シャリーノの「ヴァニタス」と似た主題を,仏教的・人間的側面から扱おうとする作品である.このオペラの台本は5つの部分に分かたれており,それぞれが仏教のいう5つの要素である地・水・火・風・空に関連付けられている.作品は酒場の女主人が街を出て荒野に向かうところから始まる.荒れ野の過去,現在,未来が歌われたあと,幽霊の出現を経てこの曲は最高潮を迎える.生が死後と連続したものであること,それも超自然的なあり方でそうなのではなく自然現象としてそうなのであるということ,その連続性はあらゆる有情を束ね,月も土も水も―つまり無情にも繋がっていることが第五部の維摩経からの引用によって力強く語られる.サンスクリット語の音の響きがオペラ全体の差し色となって全体を引き締める.